2012年 07月 15日
記憶
人の記憶は無意識のうちに働いている。
ノラ・ジョーンズのcome away with me を聴きたくなった。照明を落として、ベランダにイスを出して、正面の山と、すごい速さで流れていく雲と星空を眺めた。
この曲を聴くと7、8年前のころを思い出す。横浜の息が詰まりそうな毎日から逃れるため、毎週末のように八ヶ岳に行った。車やコテージでいつもこの曲を流していた。私の記憶の中では、この曲がなぜか自然にマッチする。この曲を聴きながら、ザワザワする山の木々と、その向こうの星空を眺めた。
父が体調を崩し、とうとう母との老人だけの生活ができなくなった。八十を超えるまで老老介護を強いた子供の責任は重い。もっと早く、両親が老後を楽しめる生活に入るきっかけを作ってあげるべきだった。父は子供にも他人にも迷惑をかけない生き方を貫こうとして頑張った。子供と一緒に暮らしたい思いと、自分が築き上げてきた我が家を離れたくない思いの狭間で葛藤しながら、思いと体力の限界のバランスを崩した。父の辛い思いを切り捨てて、治療のために関東の施設に入れた。もう二度と、我が家に帰してあげることはできないかもしれない。
私が幼いころから父は私を登山に連れて行った。父の強引な旅行に付き合うのがとっても嫌で、それでも兄弟の一番下の私が犠牲にならざるを得ず、数々の山に登った。20年後、家庭を持ち、いつしか妻を登山に連れて行こうとする自分に気づいた。幼いときの記憶というのは恐ろしい。
小学生のとき、父に連れられて岡山と鳥取の県境にある大山に登ったときのことを何度も思い出す。映像として思い出す。しんどい旅の後、宿所の大浴場の窓の外に映った、黒くて大きな山。その山を眺めながら、背中を流す父の後姿を見ながら、幼い自分は、不安だったのだろうか。それとも、心のどこかで、その瞬間を大切にしていたのだろうか。
ノラ・ジョーンズと八ヶ岳。その記憶の奥にあるのは、元気なころの父の記憶だったのかもしれない。
by umikama326
| 2012-07-15 22:34
| 日記